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MESSAGE 帰国子女の先輩たちの体験談

海外で生活してきた先輩たちの、当時の生活や心境をありのままに。

山本 かおり

山本 かおりさん

"自分がわからないと何も変わらない。何事も自分から。"

出身高校
慶應義塾ニューヨーク学院
在籍大学
慶應義塾大学 法学部法律学科
海外滞在歴
ドイツ・デュッセルドルフ (0歳-3歳/3年間) アメリカ・フロリダ (8-11歳/1年間) アメリカ・ニューヨーク (14-18歳/4年間) 韓国・香港 (21-22歳/6ヶ月)

海外での生活が幸せ!果たして日本に帰国してうまくやれるのか…

Q:ヨーロッパやアジア地域と様々な場所での生活を経験しているようですが、経緯を教えてもらえますか?

父がメーカー関係の仕事をしていた関係で、ドイツのデュッセルドルフで生まれました。小学校1年生の時に帰国し、2年間日本の小学校で過ごしたあと、今度はアメリカのマイアミに移り住むことになり、そこで5年生の終わりまでを過ごしました。平日は現地校、土日は日本人学校に通っていました。小学校5年生の頃に帰国が決まった時は、私は海外での生活が非常に楽しく、幸せに感じていたので、「日本に帰らなければならないのか」と正直残念な気持ちでした。

Q:海外で生活することのどんな点が楽しかったのですか?

海外生活が楽しかったというよりはむしろ、日本に帰国すること、日本社会で生活することが怖かったのだと思います。転勤が多かったため、固定の日本人の友達がおらず、さらに中学校でのいじめの噂なども耳にしていたので、本当におびえていました。日本の学校の勉強もきちんとしていなかったですし、それも不安要素の一つでした。海外の学校で生きていく上では自立していること、というのは強く求められましたが、それは同時に、自分の哲学や思想、小学生であれば発言力や意見をもっていれば認めてもらえるということでもありました。「みんなで和を重んじる」環境で生活していくことに多少不安を感じていたのだと思います。

Q:実際に帰国してみてどうでしたか?

小学5年生で帰ってきたころには、日本語も英語も中途半端な状態で、先生が何を言っているのかもわからない時期もありました。小学校卒業後は、地元の公立の中学校に通い、楽しく生活していましたが、日本人として国内でいきていくのか、海外に戻るのか、ということはずっと意識していました。そんな折に、父が再度フロリダへ行くこととなり、私も現地の高校への進学を考えるようになりました。日本の学生は中学・高校の受験のタイミングで帰国し、日本で中学・高校時代を過ごすケースが多いと聞いていたので、非常に迷いました。両親から慶應のニューヨーク校を薦められた時も、日本の大学への進学が事実上決定したことになり、また非常に悩みましたが、寮生活へのあこがれもあり、進学を決意しました。母と妹は日本、父はマイアミと家族ばらばらになり、寮生活とはいえ、一人での海外生活が始まりました。

Q:アメリカでの高校生活はどうでしたか?

高校生時代は遊びに遊んでいました。マンハッタンもすぐ近くでしたし、学内でのパーティがあれば参加して、と自由気ままに生きていました。しかし、大学入学と共に日本に帰る未来が決定していたので、日本社会に適応することを考えるとふと怖くなりました。一生懸命に勉強して、日本の受験をくぐり抜けてきた人たちの中に、努力もせず、遊んでいるだけの人間がいて大丈夫なのか、と。そんな時に、「帰国子女であることは親がたまたま海外生活をして、学校に通わせてくれたからにすぎず、恩恵しか受けていないのだ」ということをしっかりと教えてくれる先生に出会いました。そのときから、日本に帰ってしっかりと現地になじむためには、それ相応の努力が必要で、成績をとるために勉強しなければならないんだ、と勉強する意味や理由というものがある程度自分の中で腑に落ちたような気がします。

言いたいことが相手に伝えられない悔しさ…

Q:楽しかった一方で、辛かった・くやしかった経験があれば教えてください。

アメリカに移り住んで間もない頃の私のつたない英語では、周りに意見として聞き入れてもらえなかったのが辛かったですね。現地の人と対等にコミュニケーションがとれることを示すことが出来るのが友達との会話や授業内でのディスカッションの場です。最初はもちろん英語の勉強の仕方も、アメリカの学校の文化もわからない中で、どうすればよいのか全く分かりませんでした。編入して間もないころ、自分の持っていた文房具のグッズが日に日になくなっていることに気づきました。最初はたまたま同じものをクラスの友人が持っているのだと自分を納得させていましたが、「どうもそうではないらしい、とられているぞ」と子供ながらに気づきました。そこで「返して」と言わなければならない。けれども日本語で返してと言ってもおもしろがられるだけだったので、当時、習っていた家庭教師の先生に「それは私のものだから返してほしい」という英語を教えてもらいました。その体験が英語を勉強するようになった、英語が話せるようになった最初のきっかけです。きちんと自分の意思を相手に伝え、言いたいことが言えるやつなんだということを示すことができるようになると、友達が出来るようになりました。言いたいことが言えなかった時期は本当に悔しかったですね。

Q:英語はそれからどのように勉強していったのですか?

辞書と友達になりました(笑)一人では宿題が処理しきれなかったので家庭教師の先生にその手助けをしてもらっていました。今までで一番勉強したのは帰国子女時代だなと思うくらい、夜中1時2時まで泣きながら、辞書を広げて勉強していました。学校ではボキャブラリーテストがあり、単語の意味を覚えるまで、単語の意味を書き写さなければなりませんでした。下手したら4つも5つも意味があるものを全て紙に写し、それを毎週毎週提出しているうちにいつのまにか単語が頭に入っていました。アメリカの小学校は日本の小学校と比べると、宿題量が多いです。自分一人で机に向かって勉強することももちろん大事ですが、友達と話すことや英語を聞く時間、話す時間を増やした方が英語上達のためには効果があると思います。私は学校が終わったあとは、アフタースクールに友達と通い、その時に宿題も一緒にやり、教えてもらっていました。学校では努力すればするほど褒めてもらうことが出来、さらにテストで良い点数をとると、表彰してもらうことができました。クラスで認めてもらうための第一歩、として必死に勉強していましたね。

良く悪くも日本は「和を重んじる」

Q:日本に帰国してから感じたことや、自分の中にあった変化はありますか?

何事でもそうですが、自分が本当にやるべきだと認識できないと、自分の中に腑に落ちていないと行動に移すのって難しいですよね。日本人ってすぐに「ごめん」とか「ありがとう」とか「大丈夫」って言うじゃないですか。「本当にそう思ってる?」と思ってしまう場面も多いです。思ってもないままに口に出し、行動することが日本では多い気がします。集団行動になるとなおさらで、自分が思ってもないことをしなければいけなかったりする。それを続けていると、本当に自分の好きなもの、やりたいことがわからなくなるのでは?と思ってしまいます。私は親に言われるがままに勉強している時は本当につまらなかったのですが、帰国することが決まり、日本で生きることが決まった瞬間に、自分の将来のことを真剣に考えたからこそ、自分で好きな環境を手に入れるために勉強しようと思えるようになりました。

あと、自分の考え方の大きな変化としては、日本では普段からよく勉強し、よく物事を考えているようなひとでも、「おれがおれが」「わたしがわたしが」と自分から主張して話す文化ではないということに気づいたことです。以前の私は「話さない=考えていない」と考えていましたが、それは違うのだ、と気づかされ、だからこそ自分から話を引き出せるような人間にならなければならないと感じるようになりました。

大変なことも多かったが、今となっては良い経験!

Q:これから海外で生活を始めようとする人たちに何かメッセージをお願いします。

私の住んでいた場所は本当に日本人のいない区域だったので、母親は受験の時など、情報収集で大変そうにしていました。毎朝・毎夕学校までの送り迎えも必要で、母はあまり自由な時間がなかったのではないかと思います。今思うと、ずっと家で一人なんて本当に辛かったんじゃないかな、と。本当にいろんな我慢をしてくれていたように思います。一方で、私にとっては、日本人が少なく、頼れる人が少なかったので、自分の中に眠る馬鹿力のようなものを発揮することが出来ました。だからこそ本当に辛くなったときに両親の支えは大きかったし、サポートしてくれていたボランティアの大人の方々の存在は大きな支えになりました。賛否両論あるとは思いますが、自分に甘えず、自分と向き合って勉強できる環境は非常に大事だと思います。

地域的にも差別の多い地域であったこと、宿題の量も多く、やってもやっても周りにクオリティが追いつかないこと、なかなか努力が成績に結びつかないこと、など本当に大変なことも多かったです。「喉元すぎれば」ではないですが、後から振り返れば、本当に多くを経験できる良い機会になると思います。。