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帰国子女体験記MESSAGE

海外で生活してきた先輩たちの当時の生活や心境をご紹介。

矢部 千尋さん

矢部 千尋さん

"コンプレックスを乗り越えられるのは自分だけ。"

出身高校
頌栄女子学院高等学校
在籍大学
慶應義塾大学 法学部政治学科
海外滞在歴
アメリカ・ニューヨーク (1-12歳/12年間)

自分自身や英語に自信を失ってしまった小学生時代、大変だった…

Q:幼少期からアメリカで生活されていたようですね。

銀行に勤める父の転勤に伴って、生まれて1年くらいでアメリカのニューヨークに引っ越し、それから小学校を卒業するまでをアメリカで過ごしました。幼稚園は現地の幼稚園に通っていました。

その後、小学1年生から4年生の前半までは日本人学校に通い、また4年生の後半から小学6年生までの期間を現地校ですごしました。

Q:現地の幼稚園に通ったあとに、日本人学校を選んだのはどうしてですか?

小さい頃は、主に家では日本語、外では英語で話していたのですが、日本語で話しかけられても英語で答えたり、「waterちょうだい」といったように英語と日本語が混じった答え方をしていたようです。

自分自身でも英語と日本語のどちらを話せば良いのかわからなくなっており、1年間くらい幼稚園でほとんど話さない時期があったそうです。そのことを心配した親がカウンセラーの先生をつけてくれたのですが、そのカウンセラーの先生が日本人学校の先生だったこともあり、小学校は日本人学校へ通うことになりました。

Q:幼稚園、日本人学校時代で印象的なことはありますか?

幼稚園にいたときはグループの人気者のような存在でした。しかし、日本人学校に入学し、慣れるのに非常に苦労したことを覚えています。 「みんなと同じことをしなければならない」「流行に乗り遅れないためにも、みんなが見ているテレビをみないといけない」といった、周りに合わせ「なければならない」雰囲気が肌に合いませんでした。

「周りと一緒でなければならない」雰囲気の中で、 周りと一緒になれない自分はだめなんだ、と自信を失ってしまいました。

そうなると周りの友人たちに対してもオープンに接することが出来なくなる。だから同級生達には何を考えているのかわからないやつ、と思われていたのではないでしょうか。

Q:そのようなある意味「辛い」時期をどのように乗り越えたのでしょう?

中学・高校時代は赤点ばかりでした。勉強の仕方が分からなかったですし、テストは勉強するものなんだ、という意識さえありませんでした。英語以外は、赤点をとっても親には怒られることもありませんでしたし、自分自身も大学受験までに間に合えばいいかな、と考え、部活に打ち込んでいました。

ただその中でも、中学3年生の時に受けた経済の授業で「金解禁」について学習したことがきっかけになり、将来は経済の勉強がしたい、と漠然と感じるようになりました。

その後、慶應義塾大学の三田キャンパスで経済の模擬授業を受けて、ますますその想いは強くなりました。今はその念願が叶って、とても充実しています。

Q:大学入試は一般入試で受験されたようですね。

英語力の低下を感じ、小学4年生から再び現地校へと転校しました。現地校では授業に慣れることが大変でした。 自分の英語に自信がなく、あまり発言出来ず、アメリカでは「発言しない=何も考えていない」と思われる傾向が強いので、同級生からはそのように思われていたのだと思います。

授業ではレポートやエッセイを課せられることが多く、現地校に転校してきて、すぐにわたされた「絶滅危惧種の動物」に関するレポートは今でも印象に残っています。 ユニークな授業も多かったです。

理科の実験で、スーパーで買ってきた鶏肉をミイラ化してみたり、マスを卵から成長させて、段階ごとに成長をみたりとか。算数の授業では、円周率をどれだけ覚えられるかをクラスで競ったり。

英語の授業は課題図書が渡されて、ひたすら本をたくさん読んだ印象です。本を読んで感想をまとめて毎回提出するというサイクルでした。

私はスピーキングやリスニングには問題がなかったのですが、リーディングが非常に苦手で、本を読んでも読んでも頭に入ってこない状況でした。薄い本を3ヶ月も4ヶ月もかけて読んでいたらとうとう先生に怒られてしまったことはよく覚えています。

のびのびと過ごし、何もかも楽しかった中高時代!

Q:小学6年生の終わりに帰国されてから、中学高校時代はどうでしたか?

一時帰国し、帰国子女入試を受けて、頌栄女子学院に入学しました。頌栄は学年の3分の1くらいが帰国子女ということもあり、自分と同じような経験や悩みを抱えていたひとに出会えたことは驚きでもあり、安心感にもつながりました。

内気だった小学生時代とはうってかわって、中学・高校時代はのびのびと過ごしていました。文化祭も、部活も、授業も全てが楽しかったです。アメリカにいた頃に押さえ込んでいた元の自分に戻ることが出来たという感覚です。

アメリカにいた頃は本当に仲の良い友達の前でしか明るく振る舞うことができませんでしたが、そういうこともなくなりました。

Q:帰国してから一番大変だったことは何ですか?

勉強です。アメリカのテストは大体の概要を把握していれば、点数をとることが出来ました。 しかし、日本の学校のテストでは本当に細かいところまで暗記しないと点数がとれないですよね。

理科のテストで臓器から出る血管の名前まで出題されたのは衝撃でした(笑)。また、アメリカの現地校では算数が良くできたのですが、 日本に帰ってきてから数学が全く分からなくなりました。

進度に追いつくのが大変で、初めての試験を終えて、「これはまずい」となり、家庭教師の先生にお願いしていました。その先生たちのおかげもあって、成績はあがり、中学1年から2年にかけての間にどのように勉強に取り組めばよいのか、そのコツをつかむことができました。

Q:その後、受験勉強を経て、慶應義塾大学に進学されたのはどうしてですか?

現地の幼稚園に通っていた時、ちょうどゴア対クリントンの大統領選の時期でした。そこで幼稚園の先生は生徒たちにアメリカの二大政党について分かりやすく説明し、幼稚園内で選挙をしました。

母曰く、私はゴアの熱狂的な支持者で、彼の落選を知らされた時、身内かのように泣き叫んだそうです。

そこまで覚えていないのですが、でも確かにゴアがお気に入りだったのは覚えています(笑)。日本と違って、アメリカでは選挙が、ある種の国民の大イベントなので、政治を身近に感じたのではないかなと思います。

そのような潜在的なきっかけもあり、幅広く勉強でき、可能性の大きい慶應義塾大学の法学部政治学科を選択しました。

絶対に苦労はする。その苦労は自分にしか乗り越えられない。

Q:海外で生活したことによるメリット・デメリットって何だと思いますか?

メリットは英語を話せるようになったこと、これは間違いありません(笑)デメリットは地元の友達がいない、ふるさとがないことですね。アメリカにはいろんな人種の人がいるとはいえ、やはりまだまだ差別が多いです。

アジア人は劣等な人種だと思われることも少なくはありません。 私の場合は長くアメリカに住んでいましたが、アメリカが自分の国だとは思えないですね。「地元がない、ふるさとがない」というのは自分の中でずっと物足りない感覚として残っていて。

私が中学2年生の時に、再び父が転勤することになったのですが、その時は両親に「6年間同じ中高に通って卒業したい」ということを伝え、通わせてもらいました。

長い期間、一つの場所で過ごした経験というのはある種の安心感や自信にもつながったと思います。

Q:海外で生活したからこそ身についたことってありますか?

様々な言葉を話すひとがいて、様々な文化で育ってきたひとが周りにいる中で育つと、物事に対する考え方も寛容になると思います。 こうだ、と一つに決めつけず、物事を色々な角度から見る事ができるようになったと思います。

例えば、日本では同性愛というのは社会的に受け入れられていませんよね。しかし、アメリカでは特別に意識されることはない。だから仮に、自分の友達がそうだったとしても何の違和感もなく普通に接することが出来るし、あるいは「もしかしたら自分もそうかもしれない」 と自分の事として考えることが出来ます。

また小学1年生の頃から、各地で行われるサマーキャンプに毎年通っていました。多くの人とロッジで寝泊まりしながら集団行動をする中で、少し年上の先輩から多くを学びましたし、何より、自立心のようなものが鍛えられました。

Q:海外で生活し、帰国子女になったことはどう捉えていますか?

帰国子女であること自体は、どうとも捉えていません。ただ辛かったことも多かったです。

何か辛い出来事があった、いじめにあったというような外部的な要因からくる辛さというよりは、 10年間という長い間ニューヨークにいたにも関わらず、ネイティブのように英語を話すことが出来ないというコンプレックスを自分の中から取り除くことが出来ず、思い悩む時期が続きました。

今ではそのコンプレックスもありませんが、もし、このインタビューを中学・高校時代にお願いされていたら断っていたと思います。自分が帰国子女だと声を大にして言いたくなかったので。

Q:そのコンプレックスを乗り越えることが出来たのはどうしてですか?

中学に入学し、英語を文法から学び直したこと、また周りにたくさんの帰国子女の友人がいたので彼女達と話す中で、徐々に英語への自信を取り戻すことが出来ました。

頌栄では帰国子女向けの英語のプログラムも充実していて、またノウハウをきちんと持った先生がサポートしてくださいました。

帰国子女であることを隠そうとしていた時期もありましたが、受験を経て、高校生活を終えるころには、自分の英語力にある程度自信を持てるようになり、帰国子女として名乗ることが恥ずかしいとは感じなくなりました。

先生や周りの友人に支えられて、私は自分の持っていたコンプレックスを取り除けたのだと思います。海外で生活し、日本に帰国するどこかの過程で絶対に何かしらの苦労はすると思います。

けれどもその苦労は自分でしか乗り越えられないし、そうして乗り越えた苦労は、絶対後々の人生でバネになると思います。

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